私が住んでいるアパートの隣室が、いわゆるゴミ屋敷であると確信したのは、悪臭よりも先に「音」の異変に気づいたときでした。古い賃貸物件ですから、以前の住人がいた頃は、隣の部屋でテレビを見る音や掃除機をかける音が微かに聞こえてくるのが当たり前でした。しかし、今の住人が越してきてから一年が経過した頃、隣室からは一切の音が聞こえなくなったのです。最初は非常に静かでマナーの良い人だと思っていましたが、共用部分にまで不用品が溢れ出し、ドアの隙間から異様な臭いが漂い始めても、室内からは人の気配を感じさせる音が全くしません。この無音こそが、ゴミ屋敷が持つ特異な防音性能の証左でした。後に清掃業者の方から聞いた話では、その部屋は天井まで雑誌と古着で埋め尽くされていたそうです。それら大量の物質が、隣室との境界壁を厚く覆い、生活音の振動を完全に吸収していたのです。私たちは日常、壁を一枚隔てた向こう側に他人が存在することを音で感じ取り、それによって無意識のうちに社会的な距離を保っています。しかし、ゴミ屋敷が生み出す遮音壁は、その繋がりを完全に断絶させます。隣人が生きているのか、それとも中で何かが起きているのか、音という情報が遮断されることで、周囲の不安は増幅されます。本来、防音とは快適な生活を送るための機能であるはずですが、ゴミ屋敷におけるそれは、住人が世界との接触を拒絶するための「沈黙の武装」のように感じられました。ある日、その部屋の清掃が行われることになり、大量のゴミがトラックへ積み込まれていく様子を眺めていました。作業が終わったその日の夜、一年ぶりに隣の部屋から、窓を開ける音や床を歩く微かな振動が伝わってきました。その音を聞いたとき、私は不快感どころか、ようやく隣に生きた人間が戻ってきたという奇妙な安堵感を覚えました。ゴミによって遮音されていた時間は、住人にとっても周囲にとっても、時間が止まったかのような異常な期間だったのです。音は生活の証であり、それが適切に響く環境こそが、健全な人間関係と住環境の基盤であるという教訓を、私は忘れることができません。
隣家がゴミ屋敷になった際に感じる不気味なほどの無音と生活音