これは私の個人的な告白ですが、かつて私の部屋がゴミ屋敷一歩手前の状態だった頃、私はその惨状の中に、ある種の「音響的な心地よさ」を感じていました。部屋の隅々にまで積み上げられた衣類、未開封の段ボール、そして読み終えた雑誌の山。それらは私の視界を塞ぐ一方で、外部の世界から私を完全に遮断してくれる防波堤のようでした。特に音に関しては劇的でした。私の住んでいたアパートは壁が薄く、以前は隣の部屋の話し声が筒抜けでしたが、部屋に物が溢れるにつれて、驚くほど静かになったのです。山積みの古着が最高の吸音材となり、私の出す音を外へ漏らさず、外の騒音も中へ入れない。その静寂の中で、私は自分の内側に閉じこもることに安らぎを見出していました。それはまるで、柔らかい素材でできた繭の中に守られているような感覚でした。誰にも邪魔されず、自分の存在が音となって世界に漏れ出すこともない。その絶対的なプライバシーのような感覚が、私を片付けから遠ざけていた大きな要因の一つでした。しかし、その安心感は非常に危ういものでした。静寂に慣れすぎてしまった私は、次第に外の世界のわずかな音が我慢できなくなり、さらに防音性を高めるために物を溜め込むという悪循環に陥りました。また、部屋が静かであればあるほど、自分の心の中に渦巻くネガティブな声だけが大きく聞こえるようになり、精神的にはどんどん追い詰められていきました。ある日、漏水事故がきっかけで強制的に部屋を片付けざるを得なくなったとき、物がなくなった後の部屋に響く自分の声の「軽さ」に愕然としました。それまで私が感じていた安心感は、単に自分の感覚をゴミで麻痺させていただけだったことに気づいたのです。今、私は物が少ない部屋で暮らしていますが、窓から聞こえる子供たちの声や、風の音、街の喧騒を心地よく感じています。ゴミで音を遮断していた頃の私は、世界との繋がりを自ら断ち切り、静かな絶望の中にいただけでした。防音という言い訳で自分を閉じ込めるのは、もう終わりにしました。